
昨日の発信からの続きです。
コーヒーの形をしたなにか。
ブドウの形をしたなにか。
『なにか』とは何か?
それは
コーヒーの形をした感動。
ブドウの形をした感動。
だと思います。
でもどうして一杯のコーヒー、あるい
は一房のブドウに感動が宿るのだろう
か?
少なくともブドウについては、栽培の
途中で感動の素を送り込む作業は無い
コーヒーについても同様と思う。
だけども私はペイコーヒーを飲んでい
つも感動する。
なぜ?WHY?
はっ!
そういえば、感動の種類はいつも同じ
ではない。
この前の感動は、テイクアウトしたカ
ップの飲み口の滑らかさに感動。
今回は、店長の精密な動作に感動。
浅煎りのコーヒーから漂う、シナモン
の香りに感動したこともある。
思えば
ペイコーヒーを飲んで感動した瞬間の
思い出と、そのときに自分が対面して
いた課題とを思い出すと、不思議と繋
がっている気がする。
ということは
なにか抱えている課題があって、その
答えに繋がるヒントが欲しい!
という気持ちが、ペイコーヒーでのな
んらかの体験で揺さぶられた結果、感
動となって現れた。
ということだろうか?
うーむ???
一晩考えてみよう。
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